先輩達の昔と今
田口 歩さん
【メッセージ】
スズキ・メソードでバイオリンを始めたのは3才と聞いています。8才の時に東京から名古屋に転居して、牧野先生(当時は矢島先生でしたが)に教えていただくようになりました。
牧野先生の前で演奏すると、一週間どのように過ごしたのか、どのようにバイオリンに取り組んできたのかが、必ず音に出てしまいます。先生にはバイオリンのレッスンを通して、自分の内なる心と真摯に向き合い、対話し、自分自身を表現することで、人間として成熟し成長してゆくのだということを教えていただきました。模範的な生徒とは言えませんでしたが、バッハの無伴奏パルティータの第2番だけは、時を超えたバッハの祈り、精神にふれることができるように感じ、よく練習して牧野先生に褒めていただいた記憶があります。高校一年生の時にクラスを卒業しましたが、大学に入学してからは室内楽を少し楽しむこともできて、生涯にわたって音楽を奏でられる喜びがあるのは素晴らしいことだなと感じています。
名古屋大学を卒業後は医師としての日常生活に忙殺され、バイオリンをさわる機会もほとんどなかったように思います。臨床医としてただただ忙しく数年間過ごすなかで、はたしてこの道が自分が社会に貢献しうる最良の道だろうか、という疑問がふつふつとわいてきました。日々患者さんを見ているだけでは、医学は進歩しないし、自分一人で助けられる患者さんの数は限られています。医学研究を通じて病気のメカニズムを解き明かしてこそ、医学は発展して何百万人、何千万人という患者さんを救うことができるのではないかという思いが強くなり、名古屋大学大学院を卒業後、シアトルのFred Hutchinson Cancer Research Centerに3年半留学しました。現在はヒューストンにある世界最大のがんセンターMD Anderson Cancer Centerで、がんを克服する日を目指して研究室を運営しています。
思いもかけず臨床医から医学研究の道に進みましたが、音楽と医学研究には共通点があって、スズキ・メソードで牧野先生に教えていただいたことが、研究者として大いに生きていると思います。音楽を通して自分自身の内面を追究することに終わりがないように、医学研究においても、膨大なデータの背後にある真実の探求には終わりはありません。また音楽に国境がないように、医学研究にも国境はありません。音楽が世界中の人々に感動を届けるならば、医学の進歩は同じ病気で苦しむ世界中の患者さんの福音となるでしょう。
アメリカに移り住んでから時々バイオリンを出して演奏しています。昔のようにはいきませんが。これからも音楽のある生活を楽しみながら、持てる力のすべてを注いで医学の発展に貢献していきたいと思っています。
八代 真紀子さん
【経歴】
- 1974年
- スズキ・メソードでバイオリンを始める
高校生までの間牧野先生に師事 - 1979-1988年
- テンチルドレンの海外演奏旅行に参加
- 1991年
- 岐阜県立恵那高等学校卒業
- 1995年
- 南山大学経営学部卒業
- 1997年
- モントレー国際大学院大学国際環境政策学部修士課程卒業
- 1999年
- 国連大学学術部門環境プログラムのインターンを経て、
国連大学職員として地球環境パートナーシッププラザで勤務 - 2005年
- 半年間南アジア地域を対象としたプロジェクトに携わるため6ヶ月間スリランカに滞在
- 2006年
- 外務省派遣のジュニアプロフェッショナルオフィサー(JPO)として国連環境計画のナイロビ本部に勤務
- 2008-2013年
- プログラムオフィサーとして引き続き国連環境計画ナイロビ本部勤務
- 2014年-現在
- バンコクの国連環境計画アジア太平洋地域事務所に勤務
主に、生物多様性や生態系の保全に関する国際政策担当
【メッセージ】
私とスズキ・メソードとの出会いは、一歳の誕生日を迎える頃、母が町の小児科で手に取った一冊の本、鈴木先生の「愛に生きる」から始まりました。本の中にあった、「人は環境の子なり」「育て方次第」という言葉に衝撃を受け、牧野先生のお教室に通うようになったそうです。牧野先生とのレッスンや日々の練習を通して、音と向き合うことで自分を磨いていくことの厳しさと尊さを教えて頂きました。一つのことを休むことなく続けることで、どんなことも努力し続ければ必ず道が開かれていく、という自信を与えられたように思います。
中でも思い出に残っているのは、小学生の頃に教えて頂いたブロッホ作曲のニーグンと、中学生の頃に取り組んだシベリウスのバイオリン協奏曲です。ブロッホのニーグンは牧野先生に長い期間にわたって教えて頂いた曲です。小学生の私にはとても難しい曲でしたが、演奏を通して「祈り」を表現することを学ばせて頂いた時間でした。シベリウスのバイオリン協奏曲は、メロディーから北欧、フィンランドの情景が感じられるところがとても好きでした。
バイオリンを通して、音楽に触れることで得られる感動や自分を表現することの楽しさについて教えて頂いたように思います。
又、6歳から参加させて頂いたテンチルドレンの海外演奏旅行では、一緒に音楽を楽しむことの出来る友人達との出会いや、考え方や文化の違いを越えて色々な国の人達と通じ合えたこと等、たくさんの貴重な経験をさせて頂きました。
演奏旅行を通して経験した多くのことは、現在の仕事の土台となっています。海外で過ごした経験から、高校生のころから漠然と、将来は英語を使い、多国籍の環境の中で仕事がしたいと思うようになりました。
又、大学生の頃にブラジル・リオデジャネイロで開かれた地球サミット(環境をテーマにした国連主催の国際会議)についての報道に触れ、少しずつ環境や開発問題に対して関心を抱くようになり、異文化に触れたい、環境問題についてもっと学びたいという思いが強くなり、大学卒業後にアメリカの大学院に留学し、帰国後、国連の組織で勤務するようになりました。
現在所属している国連環境計画は、国連の機関の中でも環境分野の国際政策の策定やそれに向けた国際交渉、人材育成や技術支援を行っています。2014年から勤務しているバンコクの国連環境計画アジア太平洋地域事務所では、主に途上国における生物多様性や生態系の保全に関する政策策定の技術支援や人材育成のプロジェクトを担当しています。
スズキ・メソードを通して様々な国の人達や海外の文化と触れ合う機会を与えて頂いたことは、現在の、様々な文化や国籍を持つスタッフや協力組織の人達と仕事を進める上で、大きな支えとなっています。又、何事も諦めず続けていくことで道が開かれていく、という自信を与えられたことも、自分の日々の生活の中でとても大きな支えとなっています。
現在は、音楽とは関係のない職種に就いていますが、世界の様々な場所で、バイオリンを通して仕事以外の場で交流をさせて頂いています。8年近く過ごしたケニアでは、同じ組織に勤務していたオランダ人の同僚と、時々、ピアノ、バイオリンのアンサンブルを楽しませてもらい、ナイロビ市内にある孤児院への寄付を目的としたチャリティーコンサートを開かせて頂く機会にも恵まれました。
これからも、日々の生活の中に少しずつでも音楽と触れ合う時間を持ちながら、地球環境の保全に向けて微力ながら貢献していけたらと思っています。
川本 嘉子さん
【経歴】
- 1969年
- スズキ・メソードでバイオリンを始める
- 1989年
- 第6回東京国際コンクール 室内楽部門 優勝、アサヒビール賞、斎藤秀雄賞 受賞(イグレック・クァルテットで受賞)
- 1991年
- 東京都交響楽団への入団をきっかけにヴィオラに転向
- 1992年
- ジュネーヴ国際音楽コンクール ヴィオラ部門 第2位(1位なし)
- 1996年
- 村松賞 受賞
- 1997年
- 第7回新日鉄音楽賞、フレッシュアーティスト賞 受賞
- 1998年
- 京都アルティ弦楽四重奏団へ入団
- 1999-2002年
- 東京都交響楽団退団まで首席ヴィオラ奏者を務める
- 2001年-
- AOIレジデンス・クヮルテットのメンバーへ
アメリカのマールボロ音楽祭、〈東京の夏〉音楽祭、霧島国際音楽祭などに参加
サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団メンバーへ
東京芸術大学弦楽器科非常勤講師を勤める - 2013年
- 東京音楽大学指揮科で広上淳一に指揮法を師事
- 2015年
- 東燃ゼネラル音楽賞奨励賞受賞
【メッセージ】
「三歳より手習い」という昔の風習に従い二歳半でお稽古事を探している時に牧野クラスの発表会を母と見学に行きました。
その時に初めて自分の意見を強く持ち「自分もステージで弾くまで帰らない!」とワガママを言って泣いたことを、今でも鮮明に覚えています。
今思えば、これが音楽と出逢う扉でした。
脳の成長が最も活発な幼少時、人との出逢いはその人の人格形成に影響があると思われます。現に三歳から七歳までお世話になり、父の転勤と共に四半世紀余り離れていても、牧野先生の強い愛情と信念が自分の中核となっている事を自覚する度に感謝の念に溢れます。
私は本当にラッキーな幼少時代を過ごしました。
社会に出てからも色々な職種に携わるスズキの卒業生に助けられています。音楽に集まる時の表情は子供の時と変わらず笑顔に溢れます!
学校の音楽室に掲げられた常連ベートーベンは誰もが驚く才能があり将来を嘱望される中、聴力の低下に自殺を考えるほど悩みます。それでも、残された作品は現代を生きる私たちに勇気や希望を与え続けてくれています。そのエネルギーは一体何なのでしょう?
ベートーベンの一番好きな言葉をここに記し、スズキメソード栄教室に通うお子様の将来に無限の期待を込めて文章を閉じたいと思います。
”音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度な啓示である。”